魔法のホログラム 第2話

 トム・パリスはゆっくりと意識を取り戻した。
“どうしてこんなに暗いんだ?”
あたりを見回そうとして、自分の瞼が閉じられたままだという事実にようやく気付く。
“目が覚めたはずなのに…”
瞼を上げる、それだけの動作に、今のパリスは持てる力をかき集めなければならなかったが、そうやって開いた目に飛び込んできた光景も、閉じていた時と変わりばえがしない。
あたりは相変わらず薄暗く、うっすらと靄のようなものが立ち込めているようだ。
“こんなのプログラムにあったのか?”
「コンピュータ、プログラム停止…。」
ぼんやりした頭にも本能的な警報が鳴り響き、パリスは叫んだつもりだったが聞き取りにくいしわがれ声が出ただけだ。
「コンピュータ、プログラムを止めてくれ!」
人並みの声量を出すだけでも、全身を震わせなければならない。
“どうなってんだ俺?”
パリスは自嘲気味に唇の片方をつり上げたが、それ以前に、プログラムが停止したはずのホロデッキに、見慣れたグリッドが現れない。どうやら、おかしいのは俺だけじゃないみたいだな…。
「コンピュータ…!」
「ムダよ、トム。」
聞き慣れた声が割り込んだ。
「もうあなたにアクセス権はないのよ、残念だけど。」
「ラミアー、君なのか? どこにいるんだ…。」
やっとのことで、声のする方向に顔を向けたパリスだったが、視界の隅で黒っぽい髪の束が風になびいているのを捉えただけだ。こちらに背を向けているのか、暗過ぎて顔がどこにあるのかさえ判別がつかない。
“やっぱり妙だ、風なんかふいてないぞ…。”
淀んだ白い煙のような靄を透かして、うごめく髪の束を見つめていたパリスは、その毛束の一部が自分の足や腕、首にまで絡み付いていることに気付いて、ぞくりと身を震わせた。叫びたかったが、既にその力が残っていない。
「…ラミアー、あんた一体、何者なんだ?」
「いいわ、トム。今、あなたにもよく見えるようにしてあげる。コンピュータ、もう少し明るくして。」
動作音と共にいくらか視界が開け、自分の置かれた状況を理解すると、パリスは激しい眩暈を覚えた。
ラミアーのものと思しき大量の赤い髪に覆い尽くされ、ベッドは原形を留めていない。その上に横たわるパリス自身も、毛束でベッドに縛り付けられ、逃れようともがいたとたん、全身に刺すような痛みが走った。
「ムダだと言ったでしょ。動けば消耗するだけよ。」
「クソっ! お前、ラミアーじゃないな? どこの化け物が入り込んだんだ…。」
パリスは何とか相手の顔を見ようと、苦労して声のする方を見上げたが、毛束の本体と思しきかたまりの中心にあるはずの、顔の部分は黒い闇だけで、その真ん中に2つ並んだ黄色い光が不気味に瞬いている。
「あなたがあのホロ・キャラクターのことを言ってるなら、彼女は私よ、トム。ラミアーと言う名も、あなた方のデータベースを探して、相応しいものを選んだつもり。ただ、ラミアーと聞いてもあなたが反応しなかったから、その意味を知らない人もいるんだと分かったんだけど…。」
「何なんだよ、そのラミアーって。」
既に息をするのさえ苦しいほどに衰弱していたパリスだったが、好奇心には勝てず質問を続ける。
「コンピュータ、ラミアーについて、彼に説明してあげて。」
“ラミアー、主にギリシャ神話に登場する怪物。
上半身は美しい人間の女性、腰から下は大蛇、あるいは全身を蛇の鱗で覆った貴婦人の姿をしていたと言われる。
また、ラミアーは夜の闇に紛れ子供をさらったり、美しい音色の口笛で若者を誘惑して連れ去り、生きたまま貪り食うと言われる。
肉片1つ、骨一本をもたいらげ髪の毛さえも残さない食欲は、彼女の名がラミュロス=貪欲=から来ているとの説の裏付けとなる。
他に、レムレース=死霊=から来ているという説もある。”
感情のないコンピュータの説明を聞きながら、パリスは再び激しい眩暈に襲われていた。
「ギリシャ神話と来たか…。おまけに、若い男を誘惑して貪り食う? だったら俺より若くて、元気のいい奴が…。」
パリスはここまで言ってしまってから、しまったと思ったが遅かった。
「ハリーね。あの子ならもう目を付けてるわ。あなたの次に、獲物になってもらうつもりよ。」
「ちょっと待った、今のは冗談だ! 坊やだと思ってうっかり手を出すと酷い目に遭うぞ…。やめといた方が身のためだって…うわっ!」
無意識に身体に力が入ったらしく、またあの痛みが身体を駆け抜ける。その嵐が過ぎ去った後も、彼はしばらく息を継ぐのがやっとの状態だ。そして再び、パリスの意識は闇に閉ざされた。


「コンピュータ、パリス7-αを起動。」
“そのプログラムは現在進行中です。”
「プログラムを停止して、扉を開け。」
“進行中のプログラムを停止出来ません。第2ホロデッキの扉は現在ラミアーによって封鎖されています。”
「コンピュータ、トゥボックπα!」
“そのコードは未承認です。”
第2ホロデッキの扉に辿り着いたキム少尉とトゥボックだったが、さっきから同じ問答を3度繰り返し、どうしても扉が開かない。
「トゥボックよりブリッジ。」
“状況は?”
「艦長、第2ホロデッキのコントロールを何者かに奪われたようです。未だに扉が開きません。」
“こじ開けて!”
「試したんですが…。扉が何かの電磁バリアで覆われてて、器具がはじき返されてしまうんです。」
キムも報告に加わった。ブリッジでは艦長が、キムの代わりに分析オペレーション・コンソールに立つ副長に歩み寄っていた。
「転送で入れないかしら?」
「無理です。キムの言ったバリアのようなものがデッキ全体を覆っているため、転送波が妨げられてしまいます。」
「ジェインウェイよりトゥボック、聞こえたわね?」
“はい、艦長。となると、方法は一つしかありません。”
「どうするの?」
“ドクターなら、問題なくホロデッキ内で再生可能なはずですので…。”
「そうだった! トムは死にかけてるのよ、ドクターに急ぐように言って!」
“了解。”
ジェインウェイはコンソール前の手すりに身を預け、主のいない操舵席を見つめて溜息をついた。
「大丈夫ですよ、艦長。ドクターなら立派に任務を果たせます。」
「当然よ。こんな宇宙の彼方で、ホロデッキなんかで死なれてたまるもんですか!」


緊急用医療ホログラムは、赤黒い髪の毛に部屋全体が覆われ、薄暗く靄のかかったような第2ホロデッキの異様さにも、片方の眉を上げただけで大した関心を示さなかった。
トリコーダーでパリスの居所が分かると一直線に急行し、彼の全身を医療スキャナーで先ずスキャンする。とたんに鋭い警告音が響いた。
「何てことだ! 死にかけてるとは聞いてないぞ。ヴァルカン人の控え目過ぎる表現も困ったものだ…。」
ドクターの動きを止めようと、四方八方から伸びてくる毛束をかわしながら、顔色が土気色に変わり始めたパリスの首筋に薬を圧入する。
すると、直後に一瞬、スキャンの値が回復したが、すぐに深刻な元の状態に戻ってしまう。よく見ると、パリスの身体に絡み付いている毛束がさっきより太さを増したようだ。
ドクターは迷わずレーザーメスを掴み、手近にある毛束を一刀のもとに切り落としたが、とたんにパリスの呻きが耳を打ち、目をやると中尉の身体が苦痛にのたうっている。
「全く厄介な男だな、君は。ドクターよりトゥボック!」
“どうぞ、ドクター。”
「パリス中尉は何だかよく分からん生命体の触手に捕まって、生体エネルギーを吸い取られとるようだ。先ずは触手を何とかせんと、ここで治療しても意味がない。だが触手を無理やり引き剥がせば、中尉の命を危険に晒すことになるようだ。」
“ドクターの対策は?”
「そう言われても専門外でね。触手のへばり付いとる中尉の肌に赤唐辛子をすり込むぐらいしか思いつかんよ。」
“それだよドクター! 赤唐辛子だ!”
つい先刻まで無残に打ちひしがれていたキム少尉がピョコンと飛び上がったので、トゥボックの片眉も跳ね上がった。
「さっそくニーリックスを呼んで、アカトウガラシとやらを用意させようか?」
「赤唐辛子はものの喩えですよ少佐。そいつが生命体なら、トムがおいしくないと判れば、自然に離れて行くでしょう?」
「あるいはもっとうまそうな餌が他にあれば…だな。確かに、この場合は有効かも知れん。ドクター?」
“聞こえたよトゥボック。それで、パリスの代わりに、奴に何を食わせるんだね?”
「ヴォイジャーだよ、ドクター。」