魔法のホログラム 第1話

 「いやぁ、ほんとにすごかった! クタリアン風邪が一発で吹き飛んじまったような気分って言えば分ってもらえるかな?」
「残念ながらクタリアン風邪ってのは知らないけど、君がこの間よりずっと元気そうに見えることは確かだよ、ニーリックス。役に立てたようで良かった。」
「役に立ったなんてもんじゃない、あんた天才だよパリス!」
ある日のヴォイジャー艦内、操舵手トム・パリス中尉と食堂勤務のニーリックスが大声で喋り立てながら歩いている。
ニーリックスはパリスの大股の歩調に合わせて、小走りで何とかついて行っていた。
「たかがコンピュータの仮装現実世界に、あれだけの情熱を注げるんだから大したもんさ。その上、ちょいと落ち込んでる人間が体験すれば勇気百倍の効果があるってんだから、こりゃもう…」
「正直、プログラムしてる時はそこまでの効果は予想してなかったんだけどね。」
パリスが言葉を切った瞬間、左の角から誰かが飛び出して来てぶつかりそうになり、避けようと飛びのいた中尉は、壁にしたたか肩をぶつけるはめになった。
「待ちなよ、少尉!」
ニーリックスが声をかけたが、そいつは立ち止まる素振りも見せずに、そのまま猛スピードで歩み去ってしまった。
「…ハリーだったよな?」
ぶつけた右肩を、左手でさすりながらパリスが呆然と呟く。
「確かに、キム少尉に見えたけど。でも何で…?」
「泣いてた…みたいだったなあ。あいつのことだから、また失恋でもしたのかもな。」
「今の様子じゃ、それだけじゃないかも知れない。おいらちょっと追いかけて、中尉のホログラム試してみるよう言ってみるよ。あんたはその肩、ちゃんとドクターに見てもらうんだぞ。大事な体なんだからな!」
「大事なホログラム製造要員だろ? 分かってるよ、ニーリックス。」
ニーリックスが視界から消えると、パリスは右腕を肩からぐるりと廻してみた。鈍痛はあるが動かすのに問題はない。彼はそのまま、任務につくためブリッジに向かうことにした。わざわざあのドクターの、厭味を聞きに行くこともないだろうと判断したからだ。

シフト勤務を終えたパリスは、弾むような足取りで第2ホロデッキのドアの前に立った。
「コンピュータ、パリス7-αスタート!」
「そのプログラムは現在進行中です。」
「そうだった。とにかく、入れてくれ。」
扉が開くと、店内は一見してシェ・サンドリンと変わらないが、向かって左手のプール台が消えたせいで広々として見える。パリスが入っていくと、すでに何名かのクルーがカウンターやテーブル席に納まり、思い思いの相手と共に時を過ごしている。彼に気付いて会釈したり、声をかける者もいた。
パリスは彼らに軽く頷いて応えると、カウンター奥に目当ての女性を見つけた。さっそく近付いて声をかける。
「やあ、ラミアー。」
「遅かったじゃない、トム。」
燃えるような赤毛と陶器の肌、コバルトブルーの吸い込まれるような瞳を持つラミアーがトムの腕を取った。パリスはバーテンの差し出したグラスを受け取り、目の高さまで掲げると、店内を見回して盛大に片目をつぶって見せる。
「それでは皆さん、ごゆっくり。」
そのまま2人は、店の2階に通じる階段のある、カウンター奥の扉の向こうに消えた。


「体験したおいらが言うんだから嘘じゃない。試してみなよ、少尉。」
深夜の食堂。
少し前、人気がなくなるのを見計らって、窓際の席にぽつんと残ったキム少尉の向かいの席に、コーヒーポットとマグカップを持ったニーリックスが腰を降ろした。
パリス中尉の例のホロ・プログラムに誘おうと、さっきから食い下がっている。
「先週までのおいらは、ケスと大喧嘩して口もきいてくれない状態になっちまったし、新開発の料理にもことごとくケチがついて、ホントにドツボにはまってたんだ。」
「知ってるよ。痛みを感じないでポックリ死ぬ方法を教えてくれって、トゥボックにつきまとって困らせてたじゃないか。」
「うひゃ~、そこまでやってたっけ。でも、ホントに死にたい心境だったんだよ。それが、例のホロ・プログラムに行ってみたら、風向きが180度変わっちまって。」
「…そうらしいね。今朝はやけにスッキリした顔で、ケスに謝ってたって聞いたし。」
「そうなんだよ。いや、そもそも喧嘩の原因はおいらだったのに、認める勇気がなかったんだな。それが、トムのプログラムで話を聞いてもらったら、どうしてもケスに謝らなきゃって、俄然勇気が湧いて来ちゃってさ。不思議なことがあるもんだよねぇ!」
「まるで魔法みたい、かい?」
「そうそう、そうなんだよ!」
「あのプログラムを試した連中は皆、そう言うんだよなあ。確かに、ホントなのかも知れない。ただ僕の場合は、恋人との喧嘩なんて簡単な話じゃないんだけど…。」
「おいらも知ってるよ。ミランダ少尉にフラれたって話だろ?」
「噂は千里を走る、か。でもそれだけじゃない。そのあとショックで、勤務中に何度もミスが重なっちゃってさ。チャコティ副長に憐れみの目で見られるようになっちゃ、オシマイだと思うだろ?」
「そうそう、おいらも確かに、そんな気分だったんだよなぁ。」
キムはゆっくりと、ニーリックスの淹れてくれたコーヒーを飲み干した。
「それがホントなら、確かに試してみる価値はありそうだな。ダメでもこれ以上、悪くなりようがないし…。ところで第2ホロデッキって、今誰か使ってる?」
ニーリックスはしてやったりとほほ笑んだ。
「こんな夜中にかい?」
「…でも、トムはここんとこ、ホロデッキに泊り込んでるって聞いたけど。」
「バーの2階を、寝室代わりに使ってるだけさ。よく眠れるって言ってたから、今ごろはもう夢の中にいるんじゃないか?」
「だったら起こさなければ大丈夫かな?」
「トムが邪魔するようなら追い出しゃいいさ。ホロデッキ中毒だって言ってやれよ。」
キムも思わず、ほほ笑んだ。
「ありがとう、とにかく行ってみるよ。おやすみ、ニーリックス。」
ターボリフトに向かう少尉の背中をしばらく見つめたあと、ニーリックスは食堂の照明を落とし、自分も休むために出て行った。


「ご報告します。レベル4のチェック終了、どこにも異状は見当たりません!」
キム少尉のきびきびした声が、ブリッジに響き渡る。
「驚いたわ少尉、もうチェックを終わらせたの?」
ジェインウェイ艦長は思わず振り返って、若い少尉の高潮した顔を見た。
「さすがだな、ハリー。」
「よかった、すっかり元気を取り戻してくれたようね。」
「パリス中尉のホロ・プログラムが治療効果を上げたようです。そうだな、ハリー?」
少尉の頬がさっと赤らむ。
「やっぱりお見通しでしたか。でもおっしゃる通り、トムのプログラムは体験する価値ありですよ。」
「あら、中尉から新しいホロ・プログラムの報告は受けてなかったと思うけど?」
艦長もキム少尉を振り返り、話題に加わった。
「全くの新作って訳じゃないからでしょう。シェ・サンドリンの改良型というか…。」
「改良型?」
艦長と副長が見事なユニゾンで問いかける。その時、トゥボックを除くブリッジ・クルーの全てが聞き耳を立てていることに、キムは突然気付いた。
「遅れて済みません!」
そこへ、ターボリフトの動作と共に噂の男が現れた。
「どうした中尉、10分の遅刻だぞ。」
チャコテイ副長の口調には、ことさら責め立てているというより、からかうような響きがある。
「実は今朝、ホロ・プログラムのバグを修正していたら時間を忘れてしまって…。」
パリスの方にも悪びれたような態度はなく、副長に詫びると素早く操舵席に滑り込んだ。
「どんなプログラムなの?トム。今、キム少尉からも話を聞いてたところなんだけど。」
「シェ・サンドリンの改良型だそうだが、プール台はどうなってるんだ?」
パリス中尉はオートパイロットになっているのを確認してから、身体を廻して艦長席に向き直った。
「プール台は消しちゃったんです。カウンター席以外にも、ゆっくり座って過ごせるスペースがあった方がいいと思って。」
「それ正解だよ、トム。ウェイトレスにすごく聞き上手の女の子がいて、話に夢中になってるうちに元気を回復してたんだ。ホントに魔法みたいでしたよ。」
キム少尉がいくぶん頬を高潮させながら、トムから上官たちに視線を移して自らの体験を語る。その時の感覚を思い出しているのか、瞳には遠くを見るような輝きがあった。
「私の聞いたところでは、バーテンの傍に大型犬が控えていて、その犬が疲れを吸い取ってくれたと言う者もいました。」
「ニーリックスが行った時には、母親くらいの年齢のタラクシア人女性が出て来て、優しく包み込んでくれたそうですよ。そうだよな、トム?」
キムに向かってパリスが肩をすくめると、ジェインウェイが考え深げな表情を見せた。
「その時の訪問者に、一番必要な何かが登場するってことね。治療効果が上がるわけだわ。どうやってプログラムしたの?」
艦長のこの質問が、なぜかパリスを慌てさせた。
「ええと、実は艦長、どうやったか自分でもよく分からないんです。プログラムしてた時、かなり疲れが溜まった状態だったのは確かで、無意識にどこかいじったらしいんですが記憶が定かじゃなくて…。」
「…危険はないのかしら?」
どうやってプログラムされたか分からない部分があるとなれば、艦長としては当然の疑問だろう。
「これまで、噂を聞いた二十名以上の乗組員が試したようですが、元気になったという報告しか聞いてません。危険なものなら、とっくに問題が発生しているものと思われますが…。」
「それもそうね、チャコティ。トム、開発者としてはどう? さっきバグを修正してたと言ってたけど…。」
「まぁ、あくまでシェ・サンドリンのプログラムに改良を加えただけですし、バグってのは反応速度が鈍ってたところをちょっと修正しただけなので、特に問題があったわけでは…。」
「となると、一度確認に行った方が良さそうね。この勤務が明けたら、寄らせてもらうかも知れないわ。」
パリスがホッとして、顔を輝かせた。
「はい艦長、ぜひどうぞ!」
「それより今は仕事だぞ、中尉。」
「分かってますって副長。」
言い終える頃には、中尉は再び操舵席に向き直っていた。


ジェインウェイ艦長が、大股でターボリフトから降りて来た。
「艦長のおいでだ!」
トゥヴォックの声も、今朝は一段ときびきびしている。立ち上がってこちらを向いたチャコティと目が合ったとたん、彼女は相好を崩した。
「モリーに会ったのよ! 信じられる?」
「ええと確か…飼い犬のお名前でしたか?」
艦長の予想外のテンションに、チャコティは少し戸惑い気味だ。
「そうよ、よく覚えててくれたわね。バーテンダーもステキだったけど、奥からあの子が出てきたら吹っ飛んじゃったわ。お店でしばらく遊ばせてくれて…。夕食のあと寄ったから2時間はいなかったと思うけど、びっくりするくらいの効果があった。お店を出る時、モリーと約束したのよ。お前が元気なうちにきっと地球に帰るからって。あの子はじっと聞いててくれた。正直言ってこのところ、ほんとに戻れるのか自信を失いかけてたんだけど、あの子と約束したからには、実現するような気になるんだから不思議じゃない?」
だが、一気にまくし立てたジェインウェイを見つめるチャコティの顔は、なぜかひどく不機嫌に見える。
「パリス、あなたにもぜひお礼を言ってとかなくちゃ。」
言いながら操舵席に目を向けたジェインウェイは、副長の機嫌がすぐれない理由を理解した。そこにパリスの姿はなく、夜勤からの延長勤務の続く交代要員ジョージマ少尉が、我慢強く座っていたのだ。
「彼はどうしたの?」
「大事なプログラムに、またバグでも見つかったんでしょう。」
今回の副長の声には、たっぷりと皮肉が含まれている。
「あなた何か聞いてない?ハリー。パリスはとっくに、ここに座ってなきゃいけないはずでしょ?」
キム少尉は自分のオペレーター席にいるのに、なぜか居心地悪そうにもじもじした。
「ええと、中尉は最近、自室に戻らずホロデッキで朝まで過ごしてるらしいんです。なんでも、不思議とよく眠れるんだとか。だからその、まだホロデッキにいるものと…。」
「コンピュータ! パリス中尉はどこ?」
間髪を入れず、ジェインウェイが尋ねる。
“パリス中尉は第2ホロデッキです。”
「チャコティよりパリス!」
今度は副長がコムバッジを叩いた。だがパリスから、返事が返って来ない。
「コンピュータ、パリス中尉の生命反応は?」
“パリス中尉の生命反応極度に微弱。中尉は死にかけています。”
「そんなバカな! 何がどうなってるんだよ?」
“質問の意味が理解出来ません。”
キム少尉がわめいても、コンピューターはあくまで無機質だ。
「第2ホロデッキで何か起こってるんだ。艦長、僕に行かせて下さい!」
  言いながら、少尉は既にオペレーター席を離れている。
「待って少尉、トゥヴォックと一緒に行って!」
艦長がトゥヴォックのコンソールに目をやると、彼も既に自席を離れ、ターボリフトの開いた扉から乗り込むところだった。
「パリスを助けたら、何があったのか確かめて!」
「了解、艦長。」
トゥヴォックがジェインウェイに目配せするのと同時に、ターボリフトの扉が閉じた。