I'll Lead You Home (第8話)

無 間 道

逃走防止のためのアンクレットをはめられ、看守に乱暴に引っ立てられてキムは再びE棟の扉をくぐった。
パリスと同じ房に入りたいという希望は却下された(独房だから当然だ)が、看守が立ち止まったのは、パリスの右隣に位置する房の前だ。横目でちらりと隣の様子を伺うと、初めて来た時同様、青痣だらけのパリスが床に伸びている。キムは奥歯を噛みしめると、看守に促されるまま房の中に入った。
三方をコンクリートの壁で囲まれた独房の中には、簡素な作りのベッドがあるだけだった。そして、パリスの房では左上の壁にあった小さな窓が、キムの房では奥のベッドの後ろの壁にある。ベッドの上で膝立ちになって眺めると、遠景の山の手前にこの施設の前庭らしい、芝生の広場があった。
キムはベッドから降り、パリスの房のある方の壁に寄りかかって座ると、そっと声をかけた。
「トム、起きてるか?」
パリスからの返事はない。キムはふと思いついて、拳で軽く壁を叩いてみる。
…コンコン、ココン、コンコココン…調子に乗って続けていると、
「ハリー、しつこいぞ!」
とうとう壁の向こうから声が上がった。
「何だ、通じてたの?」
「モールスだってことぐらい、すぐ分かったさ。お前、どっから叩いてたんだ?」
「分かってんだろ? 君の隣に越して来た。」
「なっ…独房に入ったってのか? 何考えてる、すぐ出ろよ!」
「出るさ。君と一緒にね。」
沈黙が降りた。
「…それは無理だよ、ハリー。」
「どうしてさ? 入れたんだから出られるよ!」
「そりゃ、お前はそうさ。でも俺は無理。自分でこうなることを選んでここにいるんだ。無間地獄って言ったろ? もうどこにも、戻る場所なんてない。」
「ならなんで、助けを求めたりしたんだよ?」
「前にも言ったが、来たばっかりで何でこんなとこにいるのか分かんなくなってたんだよ。一度も死んだことなかったんだから、仕方ないだろ?」
ハリー・キムは長い息を吐いた。
「相変わらず素直じゃないね、トム。本当はこんなはずじゃなかったんだろ? 元の世界に戻りたいはずさ。僕らに任せてくれれば、君を連れて帰れるかも知れない。僕らにとってはここは夢の中だから、何だか魔法も使えるみたいだし…。」
再び重苦しい沈黙が降り、ややあって、壁からくぐもった嗚咽がもれて来た。
「…トム…。」
「黙れ、ハリー! 俺は戻るべきじゃない!」
「…べきじゃないって…トム、そんなこと誰が決める?!」
「忘れてたんなら教えてやる、俺は人を3人も殺したんだ! 君やベラナや…ヴォイジャーの皆とは違う!」
「あれは事故だろ?故意じゃなかった。トム、君だって死にかけたんじゃないか!」
「殺された3人にとっちゃ、どっちだって同じことさ! 操縦ミスした俺の方こそ、死ぬべきだったってのに…。」
「…でも君は生き残った。チャンスを与えられたんだト…」
「うるさい! 俺は黙れって言ったんだ!」
最後は涙声の絶叫だった。キムはようやく、パリスの魂を捕らえているものの正体をつかんだことを悟る。彼のお得意のジョークや皮肉な笑い、衝動的とも言える身勝手さの裏に隠されていた、罪悪感という名の闇は、キムが想像していたよりもっとずっと深かったということだ。
気付いてやれなかった自分を恥じながらも、そんなキムにもはっきりと言えることがある。3人もの命の重さは、決して一人で背負い切れるものではない。心を許せる誰かと、分かち合うべきものだろう。
その時、再びあの鋭いブザー音が響き、男たちの足音が近付いて来た。
パリスの房からは、何の物音も聞こえない。
男たちはキムの房の前を通り過ぎ、パリスに向かって“仕事の時間”だと告げた。パリスは何も答えない。ややあって、パリスの房のフォースフィールドが解除され、彼が手錠をはめられる金属音が聞こえると、意を決したキムが叫んだ。
「行きたくないんだろ? トム!」
パリスからの返事はない。
「行かないって言えよ! この連中に、そこまで出来る権限があるはずないじゃないか! トム、聞こえてんだろ?」
「…黙れ、ハリー…ウッ!」
「誰が喋っていいと言ったんだトミー? そっちの坊主も、また何か言ったらこいつと同じ目に遭わせるぞ!」
「やめろ! ハリーにそんな事させるもん…ぐふッ!」
「トム!」
キムの房の前を半ば引きずられるようにして、パリスが引っ立てられていく。無力感に囚われ、キムはベッドの縁に座り込んだ。
そのまましばらく、放心したように動けなかったキムの耳に、窓の外から数人の男たちの歓声が届いた。中にパリスのものと思われる、短い苦痛の叫びが混じり、驚いたキムはベッドに飛び乗ると、膝立ちで外の中庭を窺った。
パリスは5,6人の男たちに代わる代わる手錠を引っぱられ、中庭に引きずり出されたところだ。
中の1人がなおも手錠を強く引っぱり、何とか引きずり倒そうとしているが、パリスは両足を踏ん張り、抵抗を諦めようとしない。とうとう別の大男が進み出て、繰り出した拳が無防備に晒された彼のみぞおちに沈み、くぐもった喘ぎとともにパリスががくりと膝を折る。すかさず彼の後ろに回ったもう1人の男が、パリスのズボンだけでなく、下着まで引きずりおろすに及んで、キムにも彼らの目的がはっきりと分かった。
パリスは身を捩って最後の抵抗を試みるが、大男に側頭部を蹴られて意識を失いかけ、全身の力が抜けた。
キムはそれ以上見ていられなくなり、窓に背を向けるとベッドにズルズルと座り込む。溢れた涙が一筋、頬を伝って消えた。
「トム、君が何と言おうと…」
キムは呟く。
「これ以上1分足りとも、こんなところに君を置いておけないよ…。」