I'll Lead You Home (第6話)

無 時 間

確かにパリスは、看守の言った通り横になっていたが、奥のベッドでなく床に無造作に転がされている状態だった。まるでたった今、放り込まれたようなありさまだ。
向こうを向いた顔の様子は2人からはほとんど分らなかったが、不思議なことに彼は艦隊のユニフォームを身に着けており、しかもそれが、原型を留めないほどボロボロに引き裂かれている。そして顕わになった手足や腹はいくつもの、青黒い痣や傷で覆われていた。傷には古いものや新しいものが混ざり合い、彼がここで、日常的に何をされていたのか雄弁に物語っている。
一瞥して顔をそむけたトレスの横で、キム少尉は自分を抑えるようにゆっくりと深呼吸し、フォースフィールドに触れそうなほど近付くと、その場に膝をついて声をかける。
「トム、起きろ。」
「…こんなのウソよ!」
「ベラナ、黙って。ただの夢だよ。トム、ハリーだ。起きてくれよ!」
「…トムにとっては夢なんかじゃない、現実だったのよ! 心に傷が残って当然なのに…彼ったら一言も…。」
トレス中尉の涙声が耳に届いたのか、だらしなく伸ばされたパリスの腕がピクリと動いた。
向こうを向いていた顔がゆっくりと天井を向き、両腕の筋肉が膨らんで、パリスがのろのろと身を起こす。
「…つッ!」
完全に身を起こす寸前、まだ痛みがあるのか脇腹に片手を当てたパリスだが、どうにか起き上がってこちらを向いた。2人が予想した通り、片方の目の周囲が赤黒く腫れ上がっている。
「…まさか、ハリー? 何で君がこんなとこに…。ベラナも…?!」
パリスの視線がゆっくりと左に移動してトレス中尉の姿を捉えると、彼は明らかな動揺を見せた。混乱と悲痛の表情が現れては消え、パニックにまで昇り詰めるかと思われる寸前、パリスは無理矢理口の端をひん曲げ、皮肉な笑いの仮面を被ることに成功した。
「君たちがどうやって入り込んだか知らないけどな、ハリー。ここは俺の“無間道”だ。邪魔しようったって閻魔さまが許しちゃくれないと思うけど?」
「…君は無間地獄に堕ちるような人間じゃない!」
「ハ! マルセイユで野たれ死んでた方が似合うってか?」
「やめろよトム! 一緒に戻ろう、君はヴォイジャーの主任パイロットだろ?」
「フン! とんだ主任パイロットがあったもんだよな。」
「いい加減にして! あなたの愚痴を聞きに、ここまで来たんじゃないわ!」
キムの隣にしゃがみ込んでいたトレスがすっくと立ち上がり、フォースフィールドの向こうのパリスを睨みつける。
「…悪かったよ、ベラナ。」
パリスは素直に謝った。
「でももう分かったろ? 俺は自分の犯した過ちの、報いを受けてるところなんだ。きっともう、逃げ隠れすべきじゃないんだろう。分かったら君たちは、来た道を戻った方がいい。俺の無間地獄に、巻き込まれないうちにさ。」
「…だけどトム、あなたは助けを呼んでたわ。」
「そうだよ! こっちに向かって、何か叫んでたろ?」
パリスは力無く、両腕を拡げて見せる。
「そりゃ来たばかりの頃だな。訳も分からず動揺しまくってたから。」
突然、鋭いブザー音が鳴り響き、パリスが目に見えて飛び上がった。廊下の奥から、何人かの人声が近付いてくると、彼は2人に背を向け、両腕で腹を抱えこむように身体を丸めて動かなくなった。キムはパリスが、何らかの防御の姿勢をとっていると直感したが、尋ねようと口を開いた時、それまで距離を置いて立っていた看守がすぐ後ろまで近寄ってきてこう告げた。
「時間だぜ、お2人さん。」
「必ずもう一度、迎えに来るから、トム!」
思わずそう叫んだトレスの声に、振り返ったパリスの瞳は、絶望に打ちのめされていたが、それでも彼は、口元で小さくほほ笑んで見せる。
「ベラナを頼むぜ、ハリー。」
「ちょっと、それどういう事よ?!」
トム・パリスはトレスの顔を、まともに見返すことが出来ないようだった。俯いたまま、苦しげに言葉を絞り出す。
「…俺には君に…話せてないことが山ほどあってさ…。それがずっと引っかかってた。ここに来たからにはある程度察しがついただろうけど、話したら君を失うと分ってたから…。だからこれで終わりにしよう。ベラナ、僕は君には、ふさわしくない…。」
トレスは一瞬、あっけにとられて無反応だったが、次の瞬間、うなり声を上げてフォースフィールドに突っ込み、はじき返され派手な尻餅をついた。
「上等じゃない! あんたってやっぱり独裁者なんだわ! 一人で全部、勝手に決めてっ…ちょっと、何すんのよ?」
男たちがやって来て、2人を無理やりパリスの独房から遠ざけると、フォースフィールドが解除された。
「坊や、仕事の時間だぞ。」
看守の冷たい声にも、震えたのはほんの一瞬だけで、パリスは恐怖を無表情の仮面の下に完全に押し隠して立ち上がった。両手に手錠をはめられた彼が廊下に引っ立てられると、看守はショックで言葉も出ない友人2人を振り返る。
「こいつからも警告があったはずだがな、さっさと来た道を引き返した方が、あんたらのためだと思うぜ、お2人さん。」
看守に手錠を引っぱられ、つんのめるように歩き出すその一瞬、パリスがトレスと眼を合わせた。
「…さよなら、ベラナ。」
その瞳と呟きに込められた、底なしの絶望がトレスの心に染み入って来た。溢れた涙で視界が覆われ、歩み去るパリスの姿が歪んで消えると、彼女の周囲の全てが、暗闇に閉ざされた。