FOREVER (前編)

「こんな時に悪いが、トム…。」
「いえ、大丈夫です…!」
唇を引き結んで操縦席に戻ったトム・パリスは、ベラナと艦長が吹き飛ばされる瞬間を見てはいない。もし見てしまっていたら、任務に戻ることなど出来なかったに違いない。
上官がチャコティ副長だったのも幸いだった。副長の前でなら、彼はどんな状況でも意地を張り通すことができる。もしも今、温かいジェインウェイ艦長の手が肩に置かれでもしたら…パリスはその温もりに身を任せ、平静を装ってなどいられなかったことだろう。
そんな状況だったから、副長の命令でやって来た数名の保安部員が2人の遺体を運び出したことにも、全神経を無理やり操艦に集中させていたパリスは気づいていない。
そんな彼の巧みな操艦技術のおかげもあってとりあえずの危機を脱したヴォイジャーだったが、事はそれだけで終わるはずもなかった。パリスはヴォイジャーで唯一、アカデミーで生体学の講義を受けた上級士官だ。クレニム船の攻撃で医療室が使えなくなり、臨時の救護室となった食堂で、パリスはトリコーダーとハイポを握りしめ、こわばった無表情のまま横たわる負傷者の中を飛び回っていた。
さすがプロだけあって、ドクターはそんなパリスの異変に気付いてはいたが、もとよりドクターの忠告を素直に受け入れる彼ではない。
「パリス中尉、ここはもういいと言っただろう。ケスを呼んでもらうことにしたから、部屋に戻って休みたまえ!」
パリスが振り返りもせずに答える。
「ふざけるなよドクター、こんなに怪我人がいるんだぜ。ケスが来るなら3人で早く終わらせた方がよくないか?」
「だが君には休息が必…聞きたまえ中尉!」
自分のいる場所から、一番遠いベッドまで一足飛びに逃げてしまったパリスにドクターがため息をついていると、扉の開く音がしてケスが入って来た。
「ため息なんかついてどうしたの? ドクター。」
「ああケス、来てくれたのか。パリス中尉にも困ったものでね、医者の忠告を聞こうとしない。ブリッジでの任務が明けてからもずっと、休みなしでまる2日飛び回ってるんだ。悪いが君からも説得してもらえないか?」
ケスは、何かを振り切るようにせわしなく動き回るパリスの後姿をしばらく見つめてからドクターに視線を戻した。
「やってみるけど…。今のトムはきっと、一人になるのが怖いんだわ。だって一緒にいるはずのベラナが…。」
「それは分かってるが…頼むよケス。もう君しかいないんだ。」
黙って頷いたケスはドクターから視線を外し、横たわる負傷者を避けながらゆっくりと食堂を横切ってパリスに近づいた。
「トム、大丈夫?」
パリスは答えない。
「ねぇ、今は信じられないかも知れないけど、いつかきっと立ち直れるから…。」
ようやく手を止めたパリスだったが、ケスと視線を合わせようとはせず、明後日の方を向いたままゆっくりとかぶりを振った。
「そんな風に自信が持てればいいんだけど…。」
言いながら声のした方を振り返ったパリスだが、そこにもうケスの姿はなかった。見渡すと、少し離れたところでドクターの指示に耳を傾けている。
「…保証する。」
そう言った彼女の声を聞いたような気がしたが、幻聴だったのだろうか?

その日から、クレニム人からのクロノトン魚雷に晒され続ける地獄の1年が始まり、パリスは唇を引き結んだこわばった表情のまま、任務を完璧にこなした。
そうしてクレニム人の脅威が去ったある日、これまで副長として暫定的に指揮を執ってきたチャコティ中佐が、自身を大佐に昇進させ、艦長として地球帰還任務を続行する旨の発表があった。
同時に上級士官全員の1階級昇進も決まり、トゥボックは中佐、パリスが少佐、ハリー・キムは大尉にそれぞれ持ち上がった。新しい機関主任は、大尉のジョー・ケアリーが務めることになる。パリスは内心、ベラナのいない機関室になど金輪際足を踏み入れるものかと誓っていたが、完全に平静を装った。
それでも、彼がポーカーフェイスの仮面の下に煮えたぎったマグマを隠していることに、それとなく気付いている仲間もいた。ドクターは事あるごとにパリスを観察していたし、今は艦長となったチャコティも、ほとんど笑わなくなってしまった部下に何かと声をかけたものだ。だがパリスはソツなく応じていたので、結局この2人には事態がどれほど差し迫っているか、感じ取ることは出来なかった。
事態の深刻さに最も早く気付いていたのは、実はハリー・キムだった。

「よぉハリー、あがりだろ?」
夜勤が明けて自室に向かう途中の通路で、後ろからパリスが声をかけてきた。
「そうだけど。」
「だったら行こうぜ、例のキャンプ。」
「いいけど今日は疲れてるから、1時間だよ。」
「い、1時間って…! おいおいハリー、上級士官で一番若いんだろ? それにお前、明日休暇取ってなかったか?」
「そーだよ。疲れてるから休むんだ。」
「だったら休暇の前に思いっきり…。」
「1時間だ。」
「しょうがない、あとは一人で楽しむとするか…。」
この2人には最近ハマっているホロ・プログラムがあった。20世紀アメリカ陸軍の訓練メニューを元ネタに作られたもので、段階を追って徐々にハードになってゆくものだ。どうやらパリスは、余暇の時間のほとんどを費やしているらしかった。

2人が入室すると、訓練兵たちが既に整列を終えて指揮官である曹長の訓示を受けているところだった。まずい事態だと直感したハリー・キムが踵を返そうとしたところに、曹長の怒声が飛ぶ。
「そこの新兵2人! コソコソどこへ逃げようってんだ? 堂々と遅刻するってことは、覚悟は出来てるんだろうな?」
「すみません、ちょっとトイレに行ってたもんで…」
大袈裟に頭をかいて見せたパリスだったが、曹長の顔に明らかな嘲りの表情が浮かんだ。
「そんなもの、休憩時間に済ませておくのが鉄則だろう。よくも言いわけ出来たもんだな。お前らの訓練メニューは特別に軍曹が用意するから、後ろで待っとけ。」
「やってくれるね、トム。」
小声でつぶやいたつもりのキムだったが、どうやら曹長の耳まで届いてしまったらしい。
「おい、そこの黒髪! ちょっとここまで来い!」
ハリー・キムは隣に立つパリスを思い切り睨みつけると、これ以上指揮官のご機嫌を損ねないよう小走りで前に出たが、なぜかパリスがついて来て、キムと曹長の間に割って入る。
「すみません曹長! でもハリーは悪くない、トイレに付き合わせたのは俺で…。」
パリスと変わらぬほどの長身で体重は倍くらいありそうな、大柄の曹長は難なく彼を押しのけると、ハトが豆鉄砲を食った顔のキムの頭を思い切り殴りつけた。
「おい、ハリー!」
キムの体がゆっくりとのけぞり、ゴツンと嫌な音がして後頭部から地面に突っ込んだ。そしてそのままピクリとも動かない。
「コンピュータ、プログラム停止! ハリーを医療室に緊急転送しろ!」
パリスがほとんど涙声で叫んでいた。