Angels Unaware (前編)

 大都市を見下ろす丘の上に、ベネミア政府軍司令部の扁平な建物が連なっている。
アイザック司令官から朝一番に呼び出しを受けた副官のグロスマンが、報告書類の束を抱えて司令室の扉をノックした。
「司令官、開発部からの報告です。今回の試作品は非常に安定しており、プロトタイプとしての実用化が可能であるとの結論が出たようですが…。」
「ついにやったか。これでわが国の勝利は決まったな。それで、その試作品はいつ見せて貰えるのかな?」
「数日中には必ず。」
「実に楽しみだな、グロスマン。」
司令官は満足そうに椅子に深々と沈み込み、笑顔で何度も頷いて見せる。グロスマン大佐は隣接する秘書室のドアに向かって、司令官にお茶をお持ちしろと指示すると一礼して司令官室を後にした。


トム・パリス中尉は鳥の鳴き声で目を覚まし、おかしいな、ゆうべどこで寝たんだっけ?とモゴモゴ呟きながらゆっくりと身を起こした。
左肩に走った刺すような痛みに思わず顔を歪めながらもとにかく状況を確認すると、そこはあまり広くない寝室といった場所で、左手の大きな窓が全開にされ爽やかな風が吹き込んで心地よい。
「よかった。目を覚ましたんならもう大丈夫だね。」
声の主は茶色っぽい髪の男の子で、窓枠に寄りかかって立っていたが、逆光のせいで表情が読み取れない。もっと良く見ようと頭を巡らせたパリスだが、とたんに襲った激しい頭痛に気が遠くなりかけた。
「まったく、ケガしてんのに急に起き上がるからだよ。」
「…ケガ?」
「何にも覚えてないんだね、トム。」
「…俺を知ってる…? こっちは君に、会った覚えがないけど。」
「“ヴォイジャー”の記録映像は、ボクのお気に入りなんだ。」
そう言いながらパリスのベッドに近付いて来た男の子は、年のころ7~8歳と幼く見えたが、謎めいた笑顔を浮かべたその瞳は底なし沼のような深い緑で、パリスは思わずぞくりと身を震わせる。
「…見てたら君のシャトルがクラッシュしそうだったから、とっさに操縦席から引っ張り出しちゃってさ。ゴメンね…。」
かなりのスピードで突っ込んでいたはずのシャトルから引っ張り出した、という表現がパリスには理解し難く問い質したかったが、結局この子にもどうやったのかよく分かっていないのだろうと自分を無理やり納得させた。
「へ~え、それじゃ君は、俺の命の恩人ってわけか。それで何て名前だって?」
「…トップシークレット。」
曖昧な表情で微笑む男の子にパリスは大袈裟な笑顔を向ける。
「へ~えぇ、面白い名前じゃないか。苗字はないのか?」
「違うってば、言えないんだよ!」
男の子は見事に引っかかった。
「本当はボク、生き物じゃなかったりするからさ…。」
「…つまり、アンドロイドか何かってことか?」
パリスは先刻覗き込んだ底なし沼を思い出し、何となく得心がいった。
「まぁそんなとこ。でも厳密にはそれも違うんだけどね。
…ボクの心臓、極小のブラックホールで出来てるんだ。そして身体は、事象の地平線―イベントホライゾンの役目を果たしてる。」
「何だって…?」
極小のブラックホールといえば量子特異点のことだ。この宇宙が丸々吹っ飛ぶくらいの力がその1点に凝縮されている。それはつまり…。
「…それじゃまさか、君は最終兵器なのか?」
男の子はベッドの縁に腰掛け、パリスの表情が青ざめていく様をじっと観察している。
「さすが宇宙艦隊中尉、ご名答だね。」
パリス中尉は呆けたような表情で目の前の男の子を見つめた。
その茶色い髪は細く艶やかで、肌にもこの年代の子なら皆持っている透き通るような輝きがあり、とても作り物とは信じられない。だがその心臓には、究極の破壊魔が眠っている。パリスの身体を再び震えが走ったが、中尉は努めてそれを押さえ、ヒュウと口笛を吹いて見せた。
どこの世界にも、好きで最終兵器に生まれる奴はいない。
そんなパリスの反応を見て、今度は男の子が純粋な驚きの表情を見せる。自分の正体を知り、驚きが通り過ぎた後もパリスの態度に全く変化がなかったからだ。こんな大人には初めて出会った。男の子はうれしくなって、レプリケーターに飛んで行くと飲み物を2つオーダーし、一つをパリスに差し出した。
笑顔で飲み物を受け取り、躊躇なく口にするパリスに、男の子はこれまで感じたことのなかった不思議な幸福感を味わっていたが、パリスの方は全く違うことで頭がいっぱいだった。
シャトルのクラッシュから助かったのはいいが、どうやらとんでもない未来に吹っ飛ばされたみたいだな…。


バタバタとけたたましい足音が響き、驚いた司令官が顔を上げると、グロスマン大佐が飛び込んで来る。
「…やあ、グロスマン。明日には試作品を見せてくれるという話だったが、何かあったようだな。」
グロスマン大佐は持っていた透明なデータカードを、慌てた様子で司令官のデスクの上の端末に差し込んだ。
「実はそうなんです。とりあえず延期が決まりまして、いつお見せ出来るのか確定出来ない状態なんです。」
「まさかまた不安定になったのか?」
「いいえ司令官。安定していることに変わりはないのですが、その原因が判明しまして…。」
言いながら端末のスイッチを押すと、画像データが開かれる。そこには例の試作品と一緒に、包帯だらけの見知らぬ男が写っていた。
「…実は試作品は、例の空間に引きこもっておりまして…。」
「例の空間?」
「ええ、彼の特異点から発する力で彼が自ら造り出す、エアポケットのような時空の歪みのことです。一緒にいる男はこちらの資料によればトーマス・ユージン・パリス、宇宙艦ヴォイジャーのパイロットだった男ですが…。」
「ヴォイジャーとは?」
「ええと、数百年前に初のデルタ宙域探査を成し遂げ帰還した宇宙艦だそうですが…。その記録映像を見ていた試作品が、クラッシュしかけたシャトルからこの男を自分の空間に引っ張り込んで救出したらしいので…。」
「…それじゃ、とんでもないタイム・パラドックスになるかも知れんぞ!」
「おっしゃる通りです。しかしその前に、試作品がこれほど安定していられるのは、どうやらこの男と一緒にいることで自意識が芽生え始めているからではないかと…。」
司令官はパリス中尉と呼ばれる男を穴の開くほど見つめ、重々しく言い放った。
「それではいくら安定していても、プロトタイプどころの話ではなくなるな。」
「どういうことでしょうか?」
「自意識が芽生えているとすればだ。例えばこの男と接することで罪の意識を感じたらどうなる? 試作品が滅びの道を選ぶとしたら、我々も一蓮托生なのだぞ。」
グロスマン大佐が青ざめた。
「確かに、その可能性もありますね。しかし無理に引き離すことは既に不可能な状態でして…。」
「もちろんそうだろうさ。後はこの男がどう始末を付けてくれるのか、我々はここで見守っているしかない…。」