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トム・パリスが艦長の作戦室に呼び出されるのは、これが初めてではない。
もちろん、必要な報告などで日常的に訪れる場所でもあるが、呼び出されるとなるとまた話は別で、特にパリスのような人間にとっては、身に覚えがなくても無意識に戦闘態勢を整えてしまう。
だからその日、作戦室を訪れたパリスが艦長だけでなく、黄色い制服の保安主任も同席しているのを目にした瞬間に浮かべた、不遜な笑みをジェインウェイは無視することにした。窓際の長椅子から立ち上がって、パリスを迎え入れる。
「中尉、ご苦労さま。」
「保安主任までお出ましで、何か僕に問題でも?」
「…実はヴォイジャー艦内に、ケイゾンと内通してるスパイがいるとの報告を、トゥボックから受けたところなの。」
「まさか、そのスパイが僕だとか言うんじゃ…?」
「話は最後まで聞きなさい、トム。」
「君にはアリバイがあり、不可能なことははっきりしている。安心したまえ、中尉。」
「…それじゃあ、何でわざわざ呼び出したんです?」
パリスの心の奥底から、何かがゆっくりとせり上がって来る。
「そのスパイはケイゾン艦と秘密裏に交信してるらしいんだけど、痕跡をうまく隠しててヴォイジャーからの調査では犯人を特定出来ないこともはっきりしたの。」
「つまり、犯人を突き止めるには誰かがケイゾン艦に乗り込んで、向こうの受信記録を調べる必要があると言うことです。提案したのは私ですから、自ら乗り込むつもりだったのですが…。」
トゥボックがちらりと、艦長の顔を見た。
「…私が止めたの。そもそもケイゾン艦に気付かれずにに乗り込むなんて不可能だし、だからってヴォイジャーの保安主任が堂々と行ったんじゃ、殺してくれと言うようなものでしょ?
この任務では、先ず敵を欺くためにヴォイジャーでの仕事が不満で、艦を離れる振りをしてもらわなきゃならない。身内を騙すことになるし、潜入出来るのも一人だけ。」
ここまで聞いて、パリスは先ず目をしばたたき、次に両の奥歯を噛みしめて、口から皮肉が漏れないようにした。せり上がって来た何かを、食い止める役にも立ったようだ。
パリスが黙っているので、ジェインウェイは先を続けた。
「どれほど危険な任務かは承知の上よ。だから私から命令することは出来ない。志願してもらうしかないの。」
危険なことはもちろんだが、重要な任務であることも確かだ。これほどまでに、艦長は自分を買ってくれているということか…。パリスはずっと以前、デルタ空域に飛ばされて初めて、この部屋に呼び出された時のことを思い出していた。
「トーマス・ユージン・パリス、あなたを宇宙艦隊中尉に任命します。おめでとう、中尉!」
ジェインウェイ艦長の心からの笑顔と、暖かい握手。
あの時も、胸にせり上がって来た何かを食い止めるのに精いっぱいで、言葉が出なくなってしまったっけ。
自分の弱さのせいで、追われることになった世界。失ったものの大きさを噛みしめた場所は、刑務所だった。刑期を終えたところで、どこにも行き場のない将来。自暴自棄になる以外、方法があっただろうか?
そんな自分に、失った以上のものを取り戻させてくれた女性が目の前に立っている。
以前のパリスなら、宇宙艦隊士官が自身の身に危険が及ぶ任務でも恐れず遂行する姿を不思議に思ったことだろう。だが今なら、その理由がはっきり分かる。
彼が取り戻したのは、艦隊の肩書きや階級章ではない。同じ時代、同じ宇宙に生を受けたたくさんの仲間との絆の中に自分自身が存在するという、あたりまえの実感だった。
あの時もパリスはしばし、その感覚に打たれたものだ。
だからたとえ、この任務で命を落とすことになっても、今の自分に失うものは何もないのだと信じられる。
一度結ばれた絆は、それが真実のものなら、死を持って断ち切られるほど単純ではないからだ。艦長は彼を決して忘れないだろうし、ハリー・キムやその他の友人たち、トゥボックでさえ覚えていてくれるだろう。もちろん、毎日のように思い起こしてくれるのは限られた数人だろうが、それでも彼は、友人たちの中でいつまでも生きることが出来る。
あの日パリスが取り戻したのは、自身の依って立つ大地。勇気の源だったのだ。
パリスの口の端に、お得意の不敵な笑みが浮かんだ。
「そんな任務、僕以外に誰がやれるって言うんです? お任せ下さい、艦長。」
ジェインウェイ艦長がテーブルを回ってパリスに近付き、その肩を抱きしめる。
「覚えておいて。何があってもあなたを見捨てたりしない。必ず戻れるよう、最大限の努力をするから。約束よ。」
抱擁から身を離し、目が合った若い中尉の、どこまでも澄み切った青い瞳を、ジェインウェイは長い間忘れられずにいた。
‐終わり‐
あとがき
※第2シーズンエピ“パリスの裏切り”前日譚ってコトで書いてみました。